社会に出て自分のできなさ加減に嫌気がし、意味がわからず流した何年。
人と出会い考える大事さを教えていただき、がむしゃらに15年ぐらい経った頃に先輩たちやお客様の目に留めていただき、仕事を教えていただき、お客様をご紹介いただき、仕事をいただき気づけばそれなりに仕事もできるようになった2025。
最近考えると、以前話したお客様や担当者の世代が変化し、捉え方や価値観みたいなのが自分が思っていることとは全然違ったり、逆に迷惑かけていたりするぐらいの老害認定に近いところを走っているということ。
まだまだとは聞きますが匂いはしますし自分のことを過信せず。。
考える話し方、聞かせ方、ただでさえ故郷は味濃い県民性でもあるし、地域としてもとてつもなく言葉が強い。。悪気はないが全国テレビでの名古屋感がそのもの。。きつい。今までは先輩たちみたいにでよかったし、自分はそれにしっくりきてた。楽だったのなのかもね。
ただ、成長度合いもみんなで共有できた、みたいな。
悩みは悩みだし、知らずのままよりはと思い一冊。(めっちゃ見にくい。。頭のいい人の書き方や。。)知り合いに教えていただいたステップアップ系。
ご依頼受付連絡も今の時代メールでのやり取りも増え、コミュニケーション的な部分がなくなりつつある。シンプルに寂しさもありますが、ただ無駄な感情論などの説教の時間も少なくなり仕事がきっと円滑にもなるのでしょう。そう願いたい。
一方、自分という表現が下手で勘違いされることが多いので、自分の勘違いされる部分をきちんと把握し、また一つ伝わりやすくしたいと思っていますし正直、私はみんなでハッピーになれたらそれが一番いいと思っている人種ですから。
周りの方の笑顔が純粋に好き。笑かしたい精神がおっさんになっても全然なくならない。。口は災いの元でもあるリスクの向こう側。合う合わない時代があるもんなんやな。
